1965年、H&A Selmer Inc.が エレクトリック・サックスを開発する当たっての最大のコンセプトは、「サックスとしての基本的音質、性能を保つ」ということでした。例えばエレクトリックギターのように、本来のアコースティック楽器としてのそれとかけ離れたものではなく、電気的な増幅及び様々なエフェクト効果を可能にしながらも、そのトーンはあくまでサックスの音であること、同時に電気的機能が奏者が演奏する上でいかなる制約も与えないこと、電子機器に接続しない生の状態では通常のサックスとして何の遜色もなく使用できること、こうしたコンセプトを実現するに当たり幾多の試みが成され、数多くのサックス奏者とのディスカッションが繰り返されました。
最初の課題は、サックスの音を増幅するために集音することでした。このためサックス本体へのマイクの取り付けにあたり、パリでH.Selmer et Cieの技術者であったジーン・セルマーにより様々な試行錯誤が繰り返されます。ご存じの通り、サックスという楽器は音程や奏法などにより楽器内部での音響的なピークポイントが変化するため、一つのマイクでサックスの鳴り全体を捉えるのは非常に困難なことでした。理想的には、全てのサウンドホールにそれぞれにマイクを取り付けることが最良でしたが、それは操作性において、そしてコストにおいても実現は不可能でした。このため彼は様々な音響的なサンプルを集め、その数値からマウスピースとネックに全ての周波数が集中していることを割り出します。このポイントの決定は数ミリ場所がずれても効果を発揮しないため、マイクは脱着式のものではなく、制作時にサックスのネックに固定されるスタイルとなりました。
そしてH&A Selmer Inc.は当時全米で大手の音響機器メーカーとして知られていたElectro Voice社に電子部分の設計及び制作を依頼します。当時、Selmerでもロンドンに本拠を置くSelmer UKでアンプの製造は行われていましたが、Selmer UKの製造するアンプはロックミュージックを対象としたエレクトリックギター用の真空管式が中心だったこともあってか、隣州であるミシガンに本拠を置くマイク及び音響機器の専門メーカーElectro Voice社の技術を用いることはベストな選択であったと思えます。
Electro Voice社はちょうどH&A Selmer Inc.が起業した時期とほぼ同じ頃、1927年にルイジアナ州サウスベンドでアル・カーンとルー・バロウズの二人によって設立されます。当時はRadio Engineerという社名でラジオの修理やマイクの製造を行っており、設立投資資金は僅か30ドルだったと伝えられています。
1930年、二人はノートルダム大学フットボールチームのコーチだったクヌーテ・ロクニーの依頼で、コーチからの声を競技場で拡声するためのPAシステムを制作します。ロクニーがこれを「Electro Voice」と呼んだことから、彼らは社名をElectro Voiceと改めます。
余談ではありますが、Electro Voice社の名付け親となったクヌーテ・ロクニーはノートルダム大学のコーチ時代の12年間で105勝12敗5引き 分けという圧倒的な強さを誇った英雄的な人物で、中でも陸軍士官学校との試合に勝利した伝説的な一戦をめぐっては後に映画化され、若き日のロナルド・レーガンが出演しています。(Knute Rockne:All American/1940年ワーナーブラザーズ/監督:ロイド・ベーコン/主演:パット・オブライエン)
やがてElectro Voice社は1934年、ハムバッキングコイルを使用したノイズレスマイクロフォンの開発で一躍マイクのトップブランドの地位に踊り出ると、1946年にはミシガン州ブキャナンに本拠を移し、スピーカーを中心とした音響機器部門にも事業を拡大していきます。そして世界が宇宙開発に注目した60年代、NASAのマーキュリー計画のもと宇宙飛行士ジョン・グレンと共に宇宙を飛んだのはElectro Voice社のマイクでした。一方、ハリウッド映画の全盛期でもあったこの時期、映画の集音用マイクとしてもElectro Voice社がアカデミー賞を受賞しています。
こうして音響、マイクのトップランナーとして飛ぶ鳥落とす勢いだったElectro Voice社に寄せられたH&A Selmer Inc.からの依頼。それはパリのジーン・セルマーによって編み出された、たった一つの集音ポイントで最大の効果を発揮するマイクの設計、そしてそれを増幅するアンプの製造でした。
Electro Voice社はジーン・セルマーの考案を元に様々なマイクの設計を試みます。当時、自然な音響で周波数特性に優れていたものとしてリボンマイク(ベロシティマイク)がありました。しかしリボンマイクは湿度が天敵で、また吹かれ(風圧)に弱いという欠点を備えていました。このため、Electro Voice社は当時新素材として注目を集めていた圧電素子(通称ピエゾクリスタル/ピエゾピックアップの項参照)を使用。振動を感知して電気信号に変換するというこの素材はサックスの鳴りを拾うのにも最適で、また直径約19ミリ、厚さ12ミリと非常に小型サイズでの製造が可能であったため、風圧や余計な振動に干渉されることなく僅かな集音ポイントで最大限の効果を得ることに成功していました。 |