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Martin '44 D-28 #87813 "WAR TIME"

Martin Prewar Models プリウォー・マーティンが奇跡の大集結!! Martin Prewar Models プリウォー・マーティンが奇跡の大集結!! Martin Prewar Models プリウォー・マーティンが奇跡の大集結!!
Martin Prewar Models プリウォー・マーティンが奇跡の大集結!! Martin Prewar Models プリウォー・マーティンが奇跡の大集結!!
 
 
製造年とシリアル番号
History of Martin

Martinの偉大なる軌跡〜永遠のスタンダード14Fジョイント・ドレッドノート・モデルの誕生まで♪

〜マーティンI世/マーティン社の創業〜

c.f.martin 世界で最も有名なアコースティック・ギター・メーカーのマーティン社は、1833年にドイツから移住したクリスチャン・フレデリック・マーティン(マーティンI世)がニューヨークのウエストサイドにあるハドソン・ストリート196番地で小さい楽器店を開いたことに始まる。

1835Martin 若かりし頃にウィーンで、当時ヨーロッパで名を馳せていたギター製作家ヨハン・シュタウファーの元でギター製作の技術を身に付けたマーティンI世は、1934年にはシュタウファーが製作したギターを忠実に復元した「シュタウファー・モデル」を完成させた。
その後、ナザレスに移りオール・カスタムメイドで一本ずつギターを製作。 そして、1850年代に後のマーティン・ギターの重要な技術となるXブレイシングを開発した。

〜マーティンII世〜

cfmartin-zither 偉大なるマーティン社の基礎を築いたマーティンI世は1873年2月16日に永眠。
その後を受け継いだのが当時48歳だった息子のクリスチャン・フレデリック(マーティンII世)。マーティンII世は若いなりにも経験は豊富で、その頃のマーティン社も十数人のクラフツマンマンを抱えるほどに大きくした。
まだ南北戦争後の影響もあり、しばらく業績が振るわない時期もあったようだが、マーティンII世はギターの他、チターというヨーロッパを起源とする弦楽器の製作も手がける。
ナザレス市の市長を務めるなど、人々の尊敬を集めたマーティンII世だったが、1888年に突然の死を迎える。

〜マーティンIII世/近代化へ〜

 そしてマーティン社の経営を一手に委ねられたのが弱冠22歳のフランク・ヘンリー・マーティン(マーティンIII世)。
今まで長きに渡って培われたマーティンの伝統的な職人気質を保守しつつも、優れた経営手腕を発揮し、より近代的なギター・ビジネスをつくりあげた。
当時のマーティンの総代理店であったニューヨークを拠点とするゾービッシュ&サンズとの関係を断つ英断をする。ゾービッシュ&サンズは、ギターを中心とするマーティンの楽器を販売することに熱心ではなかったからだ。
1998年にはマーティン社はギターやマンドリンの直接販売を開始。利益率が上がり、精力的な売り込みをかけていったところ、かつてない好況を迎え、経営は安定していった。

〜ウクレレのトップ・メーカーに!〜

マーティンのウクレレ 1898年には「C.F.Martin Co., New York」から「C.F.Martin Co., Nazareth Pa.」に商標変更され、シリアルナンバーの刻印が導入された。1900年代に入ると弦の製造も開始。1910年から1920年代になると、19世紀末から20世紀初頭にかけて全米で流行したマンドリン・ミュージックにかわり、ウクレレが庶民の間でブームを迎える。

ukulele_martinマーティンIII世は当初不評だったマーティンのウクレレ製作手法を素早く改良し、瞬く間にウクレレのトップ・メーカーへと成長する。

〜世界大恐慌/革新的ニュー・モデルの発売〜

 1920年代、マーティン社は毎年重畳に業績を伸ばし、1928年には年間ギター生産本数が5000を突破。
ところが1929年に起こった未曾有の危機、世界大恐慌により業績も急激に悪化、経営危機に陥った。1929年から1931年の間にはギターの生産本数はほぼ半減、アメリカ全土では数百万人が失業する最悪の状況下で、マーティン社は経営を多角化し、ヴァイオリンの部品から木製の玩具といったものまで製造。同時にギターのラインアップを見直し、斬新なニューモデルを次々に発表していった。現在のマーティン・ギターの基礎となるドレッドノート・ボディ、14フレット・ネック・ジョイントといった画期的なデザインも生み出された。

 マーティン社の資料によると、14フレット・ネック・ジョイントの開発は1929年の後期に行われた。
当時、マーティン社を訪れた有名バンジョー・プレーヤーのペリィ・ベクテルが「もっと音域の広い、長いネックのギターを作るべきだ。そうすればギターの演奏表現はもっと自由になるに違いない」とアドバイス。これをヒントに14フレット・ネック・ジョイントを開発したというエピソードがある。
この時に製作されたモデルはオーケストラ・モデルと命名され現在のOOOモデルへと発展していった。
14フレット・ネック・ジョイント・モデルはギタリストの間で大人気を呼び、続いて他のギターも次々と14フレット・ネック・ジョイントへと改良された。

Ditson Dreadnaught 111_f 中でも1934年に発表された14フレット・ネック・ジョイントのドレッドノート・モデルがマーティン・ギターの地位を絶対的なものにした。
もうひとつ革新的だったのはドレッドノートのボディ・シェイプである。ドレッドノート・モデルの原型はボストンの楽器販売会社ディットソンのオーダーにより1916年に開発されたOEMのギターにあった。

 1931年にマーティン社はDitsonモデルを元に改良を加えて、正式にドレッドノートと名付けて試作を開始。
現在のD-18、D-28にあたるギターを10本前後製作。
これらのギターはすべて12フレット・ネック・ジョイントで、本命である14フレット・ネック・ジョイントのドレッドノート・モデルの登場は1934年になる。
まさしくアコースティック・ギターのスタンダード・デザインの完成である。

 1833年にドイツから移住したクリスチャン・フレデリック・マーティン(マーティンI世)の起こしたニューヨークの小さな楽器店に始まったマーティン社が、100年の時を経てアコースティック・ギター界の頂点に到達した瞬間であった。

シリアル番号からみる大きな変更事例

57305 TフレットとTバーが初めて採用される。(1934年)
59044 - 61181 ヘッド裏のマーチンロゴが変更。 (1935年)
72740 スロッテッドモデル以外の14フレットのOOOタイプとDタイプのナットサイズが 1 3/4" から 1 11/16" に変更される。 (1939年後半)
80585 大戦中にトラスロッドにエボニーが使用されるようになる。(1942年)
89926 マーチン社によると1944年後半がスキャロップドブレーシングのギターが製造された最後の時期。しかしながらこの後のシリアルにもスキャロップド・ブレーシングが採用されたモデル(#90014 D-28)やそれ以前で、ノンスキャロップ・ブレーシングのモデル(#88112 D-28)も確認されている 。
90021 D-28のフィンガーボードはスノーフレーク仕様からスモールドットに変更される。(1944年)
98223 "28”モデルはヘリンボーンがプラスチックトリムに変更される。(1947年前半)
99992 - 100240 "28”モデルのバックトリップはジグザグタイプからチェッカータイプに変更。(1947年中期)但しその後もジグザグタイプを使用しているものも見受けられる。

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戦前vs近年モデル寸法比較
 
製造年とシリアル番号

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